いつか言わないといけない。でも、いつどう言えばいいのだろうか。そう思っている内に1カ月以上たってしまった。私はもうウサギの増田ではない。自慢のウサギはもういないのだ。
しばらく本もテレビも映画もインターネットも見ることができなかった。徐々に、はてな含めいろいろなものを見られるようになったが、自ら言葉を発するときはこの事実を書くとき。そんな風に思っていたからどうしても書くことができず、スターやいいね押印機と化した*1。
2月3日の深夜、救急病院へ向かうタクシーの車内でウサギが死んだ。
明け方、ウサギの亡骸と一緒に病院から帰宅。
一瞬で私の色々なものが終わった。あれほどパンダにハマっていたのにウサギが私のすべてだった。
それなのに腹が減る。ごはんなんて食べたくないのに…腹が減ってしまうのだ。この世で一番生きていて欲しかった生き物が死に生きていたくないと思っていても抗えない。
2月4日の夜に素うどんを食べる。そのことに敗北感を感じる。
いつものようにウサギと一緒に寝て、匂いをかぐ。匂いが変わったウサギに「起きて」と声をかけながら寝る。当然、起きてはくれない。
2月5日の夕方、自宅近くでウサギを荼毘にふす。
火葬を一人でこなせると思えず、友達に付き添ってもらう。火葬後の喪失感は異常なほどだ。もうあのふわふわはいない。ほぼ毎日、額の匂いを嗅ぎ、「チモシー(牧草)のいい匂いだね」って言っていたのにもうできない。機嫌がいいと肩に乗ってくれたのにもうしてくれない。ベッドへのジャンプに失敗して恥ずかしがる様子をもう見られない。ウンチの粒を手に取り「うんちゃん、くちゃいね」と言うことも、おしっこの粗相を咎めることも、もうできない。すべてが終わった。
火葬から数日は仕事が忙しく向き合わなくて済んだが、ひと段落したらウサギがいない事実を突きつけられてしまう。それが怖かった。ウサギのお骨を連れて実家へ向かう。電車の座席でいつも膝の上に載せていたウサギはもういない。到着した実家にいつも準備されていたはずのケージはもうない。何かをするたび、どこかへ行くたびに突きつけられる。ウサギはもういない。あるのはウサギを死なせてしまった事実だけ。
病院に連れて行かなければウサギは死なずにすんだかもしれない。タクシーで苦しまずにすんだかもしれない。そんな後悔ばかりが募る。
私は自分でも驚くほどウサギに依存していた。ウサギの小さな体に自分のすべてを委ねていたのである。この7年、私の喜怒哀楽はウサギとともにあった。ウサギが私に一人で生きていけない人間だと教えてくれた。私は一人が寂しい。だからウサギと一緒に生きていたかった。置いていかないでほしかった。ウサギが大好きだった。
うさぎちゃんへ
うーちゃんがいなくなって1カ月たってしまいました。
いってきますとただいまを言えなくてさびしいです。
匂いをかげなくてさびしいです。
抱っこをできなくてさびしいです。
うーちゃんがいない家はとてもさびしいです。
うーちゃんに会いたいです。
*1:ハイクや引スタで生存確認をしてくれたタミさん、ぷるしゃん、ゆかりさんありがとうございました。ハイクは書けないまま終わってしまうかもしれないですが、生きています