ハイク以上の長文

ブクマはやばいよ、スターを押しな、スターを。

心やりどころ

昨年末ごろに元請けに切られたと知らされる。会社が存続するかはっきりとわからない状況だから転職活動を始めてもいいし、フリーで活動してもいいと言われたときは生きた心地がしなかった。

転職するのは年齢的にかなりキツイ。フリーで働く同業の友達は気遣いの人で、さらにコミュニケーション能力が非常に高い。その姿を見、自分には無理と思い知らされていた。会社勤めをしている理由は自分のコミュニケーション能力の低さに尽きる。何より自信を持って売り込めるほどの能力もない。

アンオフィシャルなことを多分に含んでおり、口外できない。誰にも相談できないまま幾日か経ち、いよいよ精神的に持たないかもと言うところで、信頼できる友人に相談することに。話したところで解決するわけではないが、第三者に話すことでだいぶ気持ちが楽になった。

元請けから切られたと言っても暫く仕事が続くことは決まっていたので労働する。その傍ら気が紛れることをしようとひたすらもの作りに励んだ。引っ越し先の家具は自分で作ろうと思っていたので本棚や小さな食器棚を作ったり、セーターや帽子を編む日々。何かを作っているときはそのことしか考えない。うっかり他のことに気をとられたら間違えるし、最悪怪我をする。1日、2日ですぐ完成というわけでなく、数日製作物と向き合う。完成したときの喜びは何ものにもかえがたい。

またスポーツにも励んだ。泳いだり、走ったり。体を動かすことも心を鎮めることができる。なんとか平静を保てていたが、年末年始の帰省中は完全に親に甘え、母に八つ当たりしてしまい、猛省した。

仕事始めの日に会社が存続できるようになったとのよし。心底よかったと思う。ただ会社はいつどうなるかわからない。それを身をもって経験し、これからの1年はフリーでも食っていける実力を身につけることは当然として、自信を持たなければと思ったのだった。しかし、自信を持つというのが最も得難いものである。

ここ数週間のコロナウィルス騒動により年末年始のころのこの気持ちを思い出す。心やりどころをどうするか。今回はプールが休業中で泳ぐことができない。また、走ることすら躊躇われる状況*1だ。部屋の家具作りもひと段落ついて、さて何するか?となり、ひとまず始めたのがベランダ菜園。芽、出るのか?どうなの?と思いつつクレソンとなんだかよくわからないフランスの小ネギみたいなやつを育てている。

今年からまた知人と共同で畑を借り始めた。月に2〜3度ほど畑に行く。今週畑に行くのだが、先々週蒔いた種の芽は果たして出ているのか?楽しみだ。植物にはコロナウィルス騒動なんて関係ない。四季の移ろいにあわせて青々とした葉をつけ、茎を伸ばし、花を咲かせ、そして実をつける。気持ちが沈みがちなときに人間の騒動我関せずという植物の凛とした様を見ていると心が落ち着いていく。

*1:走っていますが……