ハイク以上の長文

ブクマはやばいよ、スターを押しな、スターを。

父の親友

父の親友が亡くなった。
久しぶりに母と電話で話すと「お父さんとお好み焼きするんだ」と弾むような声で話していた。電話の向こうで私に話しかける父の声もする。元気そうでこちらも嬉しくなった。
翌日の昼ごろ、母から一通のLINEが届く。「おじちゃんが亡くなったの。会いにいったらお父さんが泣いちゃってね。おばちゃんが気丈に応対してくれてね」。
おじさんは父の職場の先輩だった。父とおじさんは歳が近く、家が近所だったこともあって、家族ぐるみで付き合うようになった。同じ仕事を専門にしているからこそ分かり合うことができたのだろう。次第に思いを共有し、愚痴をこぼしあえる同士のようになり、先輩後輩という垣根がない関係になっていった。
お互いの子供たちが巣立ってからは定期的に食事会を楽しんでいた。転勤の多い職種でもあったので、離れ離れになることもあった。けれど、遊びに行く口実を夫婦同士で得ていたようにも思う。
美味しいご飯を食べ、美味しい酒を飲み、気持ちよく酔った父と母から電話が入り、何ごとかと思えばおじさんとおばさんと飲んでいたということがしばしばあった。私はおじさんとおばさんにたいそうかわいがられていたので、私に電話しようとなったらしい。2人が私の恥ずかしい出来事まで知っていて、両親に対してなんで言っちゃうんだよ!ということもあったけど、それを知ってもなお励ましてくれたり、褒めてくれたりして、ふたりが気にかけてくれることが嬉しかった。
便りがないのは元気の証拠と思っていた。しかし、そんなことはなかったのだ。歳を取るということはこういった別れを重ねていくこと。それはわかっている。

それでも、やはりなぜ突然知らなければならないのかと思ってしまう。コロナ禍という特殊な状況でなければ、私は自分の両親に直接会い、おじさんの容態を知り、突然の訃報に触れることはなかったろうし、見舞うこともできたかもしれない。葬儀に立ち会うことだってできたかもしれない。

今夏、上司の義父が亡くなり、コロナ禍の葬儀のことを知った。近県にいなければ日本にいたとしても直接亡骸に会うことすら叶わない。上司の子供たちが叔母や叔父のためにリアルタイムでその様子を見せるためにスマホで撮影をしていたと聞き、心が痛んだ。おじさんの子供たちは遠くに住んでいる。最期に立ち会えただろうか、亡骸だったとしても顔を見れたろうかと思う。

なのに、私はどうしたって父を心配してしまうのだ。大人になってから出会い仲良くなったおじさんは、父にとって仕事のことも家族のことも語り合えるたったひとりの友達だったろう。ときには母に言えないことも話していたはずだ。おじさんが父にそうしていたかは知らない。けれどもきっと父にとってのおじさんはそういう存在だった。おじさんは父の親友だった。