ハイク以上の長文

ブクマはやばいよ、スターを押しな、スターを。

いつだって今がそのとき

はてブが荒れているからおすすめブックマーカーを教えてという増田を見かける度に、はてブが凪いでいるときなんかあったか?と思う。勧められたユーザーをお気に入りに入れたとして自分の意に介さない発言をしたらお気に入りが変わったなどといって勝手に失望するのが関の山だ。だいたい人に教えてといっている時点で他責にできるのも卑怯だなと思うので、自分の安寧のために非表示ユーザーを公開している増田のほうがよほど好感が持てるのだ。

「推し」という言葉についての増田が投稿された。言葉尻をとって言及する行為が時間や金に糸目をつけないオタ活をしている人と自分を比べているように感じた。私は「パンダが好きなかでもパンダハイくん*1が一番好き」の「一番好き」をさす現代語的な意味で「推し」を使っている。「推し活」はジェーンスーさんを通じて知った。スーさんは推しを明かしておらず、自分が行なっている活動について語るにとどめている。その内容がまさに私のパンダライフと同じもので、他者に推しを推す*2といったものではない。そんなわけでくだんの増田の推しと私の推しとでは解釈に乖離があり、まったく共感できなかった。

友人と柚木沙弥郎展を観に出かけ、自分は自分を縛り付けすぎていたのではないかと思った。はじめることに遅い早いなんてなくてやろうと思ったときが、そのときなんだ。

沙弥郎さんが師匠の芹沢銈介さんのアドバイスを受けて海外に出かけたのは40半ばになってから、出版社からの企画案がきっかけではじめて絵本を描いたのは70代になってからだ。90代後半の現在だって、精力的に創作活動をしている。自分でいまさらだとか、もう歳だからと限界を定めない姿勢がとてもよくて自分も最期までこうありたいと思った。私の周りの老人は父を含め、元気で精力的だ。父は70代になった今でも専門職を生かし働いている。畑の師匠にいたっては10万回再生が当たり前のyoutuberだ*3

もう〇〇歳なのに自分はまだ何もやってない、何もできていない。そう友人や同僚、上司らと比較して自分を卑下し続け、追い込んできた。だから私はいつだって自分のやることに自信がないのだ。できる気がしないと逃げ回ってしまう。

でも、そうじゃない。比較する必要なんてなかったのだ。若くして旅に出なくたっていいし、友人や同僚らのようにできなくたっていい。そう気づけたらすっと重荷が消え、軽くなった気がした。その後、一緒に出かけた友達とたくさん話し、自分に欠けているものをよくよく理解できた。今年はそれを克服しよう、そう心に誓った。

友達と若手ミュージシャンの話をする。vaundyの話をしていたときにドラムが54-71のboboさんだと教えてもらう。うっそ*4と思って、調べてみたらそうだった。そんなboboさんのtwitterで崎山蒼志さんのアルバム発売を知り、リンクされた「風来」のMVを見る。いい曲だなと思って曲の詳細を読み、いきものがかり水野良樹さんとの共同制作と知って、あぁぽいなぁと思う。いい意味で誰もが親しみやすいところに落とし込んでいるように思う。アルバム収録曲を通しで聴き、全ていい曲だなと思った。「風来」のほか、「舟を漕ぐ」、「通り雨、うつつのナラカ」や石崎ひゅーいさん、リーガルリリーと歌っている曲が好きで何度もリピートしている。

*1:本名は福星

*2:仮に私が友人らにパンダいいよ!みんなもパンダ好きになってよ!なんて言ったらただのパンキチである。パンダ仲間もいないし、今のところ欲しいとも思っていない。パンダ仲間ができたとして私の推しがかわいいから北京や雅安までいっCHINA!とはとても言えない

*3:実際にはお師匠さんの今の勤め先が元締め。ただ台本はお師匠さんが担当しているのでもったいない!と思ってしまう

*4:友達うそつかない