ハイク以上の長文

ブクマはやばいよ、スターを押しな、スターを。

冬の青森

父は転勤や出張が多い技術職だった。定年間近頃は私を含め子供が独立していたので母を伴って青森に赴任。父が赴任した当初、東北新幹線が開通していたのは八戸までだった。「今年の正月は茨城に帰らないから青森においで」と言われたとき、どう行けばいいのか調べ、寝台列車あけぼのの存在を知る。時間はかかるけど安く行けるとわかり、みどりの窓口で早々に切符を手配*1。運良く個室のB寝台がとれた。

あけぼのは車内販売がない列車なので上野駅売店で飲み物や食料を多めに買い、乗り込む。B寝台は一人が寝られる分だけのスペースしかない窮屈な空間だったが、室内音楽*2をつけることができた。ベッドの上に置かれたJRのロゴ入り浴衣を見て気分が高揚する。翌朝まで自分の世界を構築できるこの小さな空間にロマンを感じた。

上野を出発し、大宮くらいまでは見慣れた車窓が続く。あけぼのは東北本線高崎線上越線を経由し、その後は信越本線羽越本線奥羽線とひたすら日本海側を進んでいく。その経路は私にとって新鮮だった。本を読むものの、車窓も気になり、外を眺める。北上していくと音が変わったような気がして、水上駅で停車したとき窓の外を見ると雪景色に一変。この姿の変わりように心奪われたのだった。感想は白い。それだけだったが…。以降は、新潟、山形、秋田、青森とひたすら雪国を突き進む。ずーっと白い世界が続く。海岸線を走るときの海と雪のコントラストにうっとりした。

秋田に入るとあけぼのは地元の人たちの足となる。2段ベッドの座席通称「ゴロンとシート」には地元の乗客が座り始めていた。東能代駅に着き五能線の列車を見て、パンフレットなどで見た車窓を思い浮かべ、いつか乗って見たいなぁと思いを馳せたりも。青森に入ると各駅にリンゴのオブジェがついていた。そのほのぼのとした姿が愛らしく今も目に焼きついている。

青森駅につき、途中下車し、津軽海峡を眺め、昭和レトロな喫茶店でモーニングを食べる。青森県庁近くの公園に行き、誰も踏んでいない積雪の多いところに意味もなく足を入れて埋もれるのを、軽く息を吹きかけるだけで吹き飛ぶ雪を散らしてキラキラ光るその姿を見るのを楽しんだ。

その後、東北本線に乗って両親の住む街へ向かう。青森の電車は力強く雪を吹き飛ばし、前へ突き進んで行く。関東の脆弱な電車しか知らない私にはその様がとても勇ましく写った。

ある日の晩、父が気まぐれに「明日は谷地温泉へ行こう」と言う。その年の青森は例年以上に降雪量が多かった。雪に覆われる十和田湖畔、奥入瀬渓流を散策。八甲田山を車で登り、谷地温泉に到着すると目の前には綿菓子のようにふかふかと積もった雪がある。足を踏み入れておそるおそる中ほどまで進む。テレビCMを真似て背中からパタンと倒れ雪に埋もれてみると、温かくふわふわしていた。改めて景色を見る。見渡す限り白い世界は太陽に反射し、輝いてまぶしい。涙が頬をつたう。人は自分の琴線に触れる景色を見るだけで感泣するのだと知った。

*1:東京からだと青森・函館周遊きっぷという乗車券があり、1週間くらい有効で乗り降り自由だった。それにプラスして寝台列車の指定席権を購入

*2:うろ覚えだけど電車内用にセレクトされた音楽を聞けたはず