表題は森友問題がきっかけで自死した財務省官僚の赤木俊夫さんの口癖だ。彼に関する記事を文春サイトで無料部分までを読む。行動を起こし、応援したい、なかったことにしてはいけない、そう思って文春を購入することにした*1。
文書改ざんせざる得なくなりそうした結果、スケープゴートにされるかもしれない不安と恐怖がのしかかる。赤木さんが精神的にも肉体的にも追い詰められていくのがわかる描写を、我がことに置き換えて読んでいくと、全身に鳥肌が立ち、なんなら寒気すらしてしまう。怖い。全てを下っ端のせいにする。それはこの国の常套手段だ。国家はもとより、企業も、学校も細部に至るまで行なっている。
追い詰められた赤木さんは死を選んだ。あの状況でどうやって味方を見つけたらいいんだろう、自分の判断ではないってどうわかってもらえばいいんだろう。そんな苦悩が浮かぶ。辛さしかない。
赤木さんの手記までを読み、是枝監督がテレビマンユニオン時代に撮った『しかし…福祉切捨ての時代に』(フジテレビ「NONFIX」)*2を思い出さずにいられなかった。30年前に作られたドキュメンタリーなのに酷似している部分が多い気がする。
『しかし…福祉切捨ての時代に』は厚生省に入省し、のちに環境庁へ移り、水俣病認定訴訟の国側の担当者となった山内豊徳さんがなぜ自死を選択したのかを追ったドキュメンタリーだ。山内さんと赤木さんは自死した年の頃も、志まで似かよっている。
山内さんは東大出のエリートだが中学生の頃に骨髄膜炎により障害を負っている。だからこそ弱者のために働きたい。そう思って厚生省へ入省したのだ。しかし、出世し、環境庁へ出向した結果、待っていたのは弱者を切り捨てること。水俣病担当者になり矢面に立つ。水俣病患者と環境庁大臣の話し合いの場を設けた結果、邪魔をしたのが大蔵省*3のトップだ。
一方の赤木さんは高卒で国鉄に入社し、民営化後に財務省の地方局に入省。その後、夜間大学に通うため、関西へ。この経緯についてはブロゴスの記事が詳しい。
二人とも趣味人であったことも重なる要因である。作家を目指していた山内さんは詩や小説を、赤木さんは書を嗜んだ。
是枝監督のドキュメンタリーのタイトルの一部は山内さんの詩のタイトルを引用している。
「しかし…」
しかし…と
この言葉は 絶えず私の胸の中でつぶやかれて
今まで私の心のたった一つの拠り所だった
私の命は情熱は この言葉があったからこそ
私の自信はこの言葉だった
けれども
この頃 この言葉が聞こえない
胸の中で大木が倒れたように
この言葉はいつの間にか消え去った
「しかし…」と
もうこの言葉は聞こえない
しかし…しかし…何度もつぶやいてみるが
あの輝かしい意欲
あの晴れやかな情熱は
もう消えてしまった
「しかし…」と人々に向かって
ただ一人佇んでいながら
夕陽がまさに落ちようとしていても
力強く叫べたあの自信は
そうだ 私にもう一度返してくれ
数日前に投稿したはずが、非公開になってたから再投稿。再投稿は甘え。